展覧会

開館25周年記念コレクション展VISION:作っているのは誰?

2021.01.05-2021.03.14

2021.01.05-2021.03.14

-「一つの私」の(非)在について

-「一つの私」の(非)在について

会場入口
会場写真
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私たちに不意に訪れる「自分」という意識。。とはいえ日常の多くの時間は、そんな自分に構うことなく何かに没頭したり、気を散らしているうちに過ぎていきます。私の記憶はとても断片的で、昨日の私が今の私と地続きだという手応えもひどく曖昧なものです。はたして「一つの私」などというものが存在するのでしょうか。

芸術作品が作者(=固有の私)の表現として捉えられるようになった近代以降、作家たちはそれに対する懐疑も含め、様々な形で私について、作者について、固有性についての問いを発してきました。

頭部が溶け合うかのようなムンクの恋人たち。見知ったキリストの姿が溶解・変容する古池大介の映像。私という一つの実体、私が確信しているはずのイメージはとても不確かで、そこに私たちは、自己の崩壊という不安と共に、他者への同化という夢想を抱くこともできます。また異形のイメージを呼び込んだイケムラレイコの作品を前に、人間を超えた存在を想像することで、私をとらえる現世から遠く離れた太古や未来に思いを馳せることもできるでしょう。
私的で個人的な物語と普遍的・神話的な物語とを連想の糸で紡ぎ、時空を横断しながらアイデンティティについて思索するミヤギフトシ。一方で、ナン・ゴールディンは、自身を含む身近な被写体に肉薄することで、私的にして壮大な「バラード」を紡ぎ出しています。
アプローチを異にしながらも、制作する自己という存在にこだわり続けたのが徳冨満とイヴ・クラインです。徳冨の「My Attribute(私の属性)」は、何かを感受するときに否応なく現れる「私」というフィルターを作品に転嫁したものと言えます。対して、クラインはこの自己を、「IKM(インターナショナル・クライン・ブルー)」という自分の色(特許を取得)によって実現しました。目の覚めるような青い絵画は、まさにその青によって、紛れもなくクラインの作品であることを立証しています。
こうした作家の特権性を疑い、その位置を転覆させるような試みをしたのが、メル・ボックナー、アリギエロ・ボエッティ、シャルロッテ・ポゼネンスケでした。様々な人が残したアイデアドローイングのコピーの束を作品として展示したボックナー。様々な地域や職業の人たちに作品制作を依頼したボエッティ。工業製品のようなポゼネンスケの黄色のアルミ板は、制作当初からいくつも複製できることがコンセプトに組み込まれていて、展示の仕方も他者に委ねられています。
19 6 5 年以降、1から順にひたすら数字を描き続けたローマン・オパルカ。カトリック教信徒として、日々の祈りのように規則正しく続けられる村上友晴の制作は、もはや「作家の個性」というような芸術事の域を越えた振る舞いとして、無私の次元へ至っていると言えるかもしれません。

 

私という実体の不確かさは、私たちを不安へと誘いますが、それは自己を解放してくれる可能性と読み替えることもできます。私はあなたかもしれないし、私は、過去の私、未来の私と複数存在するかもしれない。拡張する自己は、私と他者と世界に対する寛容にもつながるのではないでしょうか。私が孤立せざるを得ない今、私が開かれていることを想像してみるきっかけになればと思います。

 

【初公開作品】
シャルロッテ・ポゼネンスケ《Relief Series B》
徳冨 満《My Attribute》9点

開館時間 10:00-17:30(入場は17:00まで)
休館日=月曜
1月11日は開館
観覧料

一般:300、高大生:200円、中学生以下無料
*豊田市内在住又は在学の高校生、及び豊田市内在住の75歳以上は無料(要証明)
*「デザインあ展」「わが青春の上杜会展」の観覧券をお持ちの方は、同観覧券にてご覧いただけます。