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束ねて固められた多量の紙片が、銅線で支柱に繋がれています。リードに繋がれた犬を思い起こさなくもありませんが、作品に近づく手掛かりにはなりそうにありません。紙片の下半分が青く染められていることが、タイトルの「水没」をかろうじて想像させます。 作者の若林奮は、かつて大雨による河川の増水に関する短文を記しています。河川敷が水没し、対岸との間が水で満たされることによって、そこには確実に空間があると認識できたり、水位が上下することで対岸が近づいたり遠ざかったりするさまを対象との距離が変化することに準(なぞら)えたり、川水の増減を、彫刻家らしく空間を捉える手掛かりとしています。 とすれば、紙片の塊は、さらに紙を継ぎ足して長さを延ばしたり、あるいは逆にはぎ取って縮めたりするものと考えられそうです。若林は、伸縮する発条(ばね)のようなものさしで空間を捉えようとしているのでしょう。
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側面に幾つもの筋の入った長方体の塊が、正方形の銅板の上に置かれています。捉えがたい印象を持つ作品ですが、タイトルを手がかりにすれば、100粒、つまり多量の雨滴が積もり積もったものか、あるいはそれによって地表面が削られ、地中に隠れていた地層が露わになっていると想像できそうです。 若林は1970年代前半に滞欧し、旧石器時代の洞窟壁画を見てまわりました。地中奥深い洞窟に、太古の人々が何世代にもわたって描き重ねた壁画、若林はその膨大な時間の堆積に圧倒されます。 この作品の塊は実は十数枚の層からなっていて、それぞれが異なった凹凸を持ち、まさに地層のように、一つひとつが下の層を覆っています。若林は、旧石器時代と自分との間の時間の堆積を、太古の時代の地表の上に一つひとつ次の時代の地表を重ねることによって捉えようと試みているようです。
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装飾らしきものは一切削ぎ落とされた円筒状の木の棒。表面の所々には窪みをふさぐように鉛が埋め込まれています。斜めに切られた片側の断面に掘り出された矩形のふくらみが、この棒が作品であることをわずかに伝えています。タイトルに用いられた「振動尺」という言葉から、これが何かを測定する尺(ものさし)であることが想像されます。 1970年代前半の滞欧中に、若林は旧石器時代の洞窟壁画を数多く見る機会を得ました。太古の時代に何世代にもわたって描き重ねられた洞窟壁画、若林はその時間の堆積から壁の表面に目には見えない厚みを感じ取ります。この観念上の厚みが増したり、減ったりすることを、若林は「振動」と捉えているようです。「振動尺」とは、このような空間を認識(測定)しようとする作家特有の「ものさし」なのでしょう。
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101枚の素描からなるこの作品は、日常の制作活動における関心事から、彫刻の根本にかかわるような立体に対する認識を示すものまで、さまざまな要素を見せてくれます。それらは、1971年から約1年余りの間に描かれたり、旧作に手を加えたりしたものです。 この時期の若林は自身の彫刻の在り方を模索していて、さらに、2年後には美術館での初の個展も控えていました。そのような時期に、彫刻を作る代わりに描かれたのが、これらの素描です。タイトルからは、自身の表現を探し求めながらも思うようには見いだせない、作家の諦観とも焦燥とも言えるような心情が感じられます。また、比較的厚い紙にインクや水彩を染み込ませるような描き方は、素材の物質性を意識させ、彫刻的なニュアンスを伝えているかのようです。
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彫刻の前の部分だけを見れば人間のようでもあり、後ろをみれば尾のある動物のようでもあり、作者はいったい何を表現しようとしたのでしょうか。しかし、何か形あるものを表現しようとしている、そう考えることから離れたほうが良いかもしれません。 よく観察すれば、この彫刻が途方もない労力から生まれていることが分かります。素材を熱して、まだやわらかい数十秒のうちにハンマーで叩いて成形したり、硬い表面をグラインダーで削ったり、研磨したり、さらには大小さまざまな部位をつなげて溶接したりと、鉄を相手に格闘している作家の姿が目に浮かびます。ただ、熱せられ赤くなっている状態も、研磨されてしろがね色に輝く様子も、作者しか目にすることができない鉄の姿です。 若林は、何かの形を作るというより、鉄の性質を吟味し、素材としての可能性を確かめているようです。
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まるで建築現場で使われるような鉄の躯体に犬の頭部と前脚が取り付けられています。背にあたる部分には、これも建材のような木の塊が敷き詰められています。よく見れば、先の方が尻すぼみに細くなっていて、犬の尾に見えなくもありません。さらに近づいて真上から見ると、細長く敷かれた木材の真ん中あたりが湾曲していて、日本列島の本州のシルエットに似ていることに気付くでしょう。そう思って眺めていくと、途中には日本の風景の象徴ともいえる緩やかな円錐状の盛り上がりがあります。大風景というタイトルにも合点がいきます。若林は、彫刻家として作品の表面に非常に強い関心を示していました。そのまなざしを拡げていくと、身の回りにあるものの表面、風景をかたちづくるものの表面、さらには地表面が視野に入ってきます。若林は、彫刻を作る感覚で空から日本列島を観察しているのでしょう。