Collection

コレクション

イミ・クネーベル (いみ・くねーべる)

[1940 - ]

規格 I B 1-B 4 [1994年]

  • アクリル、アルミニウムシート、合板
    各34.0×25.3×8.0cm(4点組)
  • ©IMI KNOEBEL

[音声ガイド]

色は4種類、パーツはそれぞれ5つ。その組み合わせでできた絵画が4つ並んでいます。 さて、この作品を見ていると、視線を左右に動かしながら、頭の中であの色をこっちに、 この色をあっちに、と動かして、いろいろな組み合わせを試していませんか? イミ・クネーベルは1960年代から一貫して、目に見える現象としての絵画と、頭の中で成 立する概念としての絵画、その両方を重要だと考えてきました。色とパーツの膨大な組み 合わせの中から色彩の効果をさまざまに試みる彼の制作プロセスを、私たちもまた作品を 見ることによって追体験することになります。 タイトルのDINは日本に置き換えるならJIS。ドイツの工業規格を意味します。クネーベ ルは日常にありふれた素材を、遊び心をもって美的なものに変化させようとしているので す。

畜光サンドイッチ No. 1 [1992年]

  • アクリル、合板
    249.5×169.5×1.8cm
  • ©IMI KNOEBEL

同じ寸法のパネルが3枚重ねられています。蓄光塗料が施された真ん中のパネルは、たと えば美術館の閉館後、照明が落とされるとほのかに光を発します。しかし、その姿を私た ちは見ることができません。それがこの作品のポイント。つまり、ある時に見えるものは 別の時には見えない、ということです。 色もそうです。そもそも色が見えるということは、その色以外の光の波長が物質に吸収さ れているからです。重ねられたパネルの内側の闇を含め、この作品は、見えるものと見え ないものについて問いかけています。 周辺から取り込まれた光のエネルギーは、内側の闇へと送り込まれ、そこに蓄えられてい る。こんなふうに想像することもできます。中央がちょっと膨らんでいるのは、そのエネ ルギーの存在をほのめかすためかもしれません。

蛍光サンドイッチ No. 2 [1992年]

  • アクリル、合板
    249.5×169.5×1.8cm
  • ©IMI KNOEBEL

蛍光サンドイッチ No. 3 [1992年]

  • アクリル、合板
    249.5×169.5×1.8cm
  • ©IMI KNOEBEL

戦闘 No. 1 [1991年]

  • ラッカー、硬質繊維板
    260.0×200.0cm
  • ©IMI KNOEBEL

[音声ガイド]

木材が穴が開くほどに削り込まれ、その上から黒く塗られています。この削り痕を絵画に おける筆あとのようなものだとすると、作家の激しい身振りが想像されます。しかし、そ れは本来結びつくはずの色彩とは切り離されています。また、絵画はふつう絵具を積み重 ねて描きますが、ここでは逆に削られて、ほとんど色のない黒い画面になっています。 ちょうど版画の版木のような、この世界のあらゆる色彩を引き受けるためのネガのような ものなのかもしれません。 ドイツの作家クネーベルはこうした黒い作品を1991-92年の湾岸戦争をきっかけに手がけ ました。テレビのなかの闇夜に飛び交うミサイルの軌跡。どこか現実味を欠いた遠くの光 景を彼は物質として目の前に現そうとしています。

好い・子 [1987年]

  • 亜鉛板、銅線
    374.0×128.0×64.0cm
  • ©IMI KNOEBEL

[音声ガイド]

人の背丈ほどの亜鉛版の箱がふたつ、壁から少し離れて立っています。 四角張った幾何学的なかたちですが、表面の模様は混とんとしています。 一方、箱の背中と壁とに触れるように架けられた銅線は、伸びやかで自由さを感じさせます。 亜鉛と銅板といえば電池に用いる金属の組み合わせです。理科の実験を思い出してください。18世紀に、イタリアの物理学者ボルタは銅、亜鉛、そして電解液として硫酸を用いて電池を発明しました。そして、20世紀のドイツの作家 クネーベルは、素材の持つ特性や意義をふまえながら、かたちに秩序とカオスの両極を見出すことで、潜在的なエネルギーを生み出そうとしています。 しかし、この作品を電池とするためには、まだいくつかの要素が足りません。 たとえば電解液はどこにあるのでしょうか。それは、もしかすると、この作品にエネルギーを感じ取る私たちなのかもしれません。

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