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秋の林にたった一頭で座り込んでいる鹿は、何を想い、どこを見ているのでしょうか。描きこまれた木立や落葉によって、鹿の孤独感がより強められています。丁寧に描きこまれた鹿の毛並みに、つい手を伸ばして触ってみたくなりますが、その瞬間に鹿は立ち去ってしまいそうな、気を許さない緊張感も画面に張りつめています。 1908年の春、春草は病のため視力が衰え、制作や飲酒を禁じられました。活動を再開できたのはこの年の12月に入ってからのことです。翌年には、静養先近くにあった東京代々木周辺の林をもとに、秋の情景を描いた名作がいくつも生まれました。木肌の表情や質感、木々の配置や空間を知りつくしたその場所を舞台に、この作品も描かれたのです。
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けむるような光と大気につつまれているのは春の林でしょうか。木々はか細く根元もあいまいで、大地は砂地にも水際にも見えます。おぼろげな新緑のなかで目を惹くのは白い花でしょう。地面には花びらが散り、他に何もない空間はこの世とは思えない景色です。 当時、菱田春草は、輪郭を空刷毛(からばけ)でぼかすなどして大気や光線の表現を模索していました。しかしすぐには評価を得られず、揶揄する意味で「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれましたが、1904年から1年半にわたり巡遊した欧米では予想以上の好評を得ます。《春色》はこの頃、春草がこれまで追究してきた朦朧体を確立するとともに、その表現に自信と課題を見出す転換期に描かれた作品です。