Collection

コレクション

エゴン・シーレ (えごん・しーれ)

[1890 - 1918]

パリス・フォン・ギュータースローの肖像 [1918年 (1922年刷)]

  • リトグラフ、紙
    26.4×30.2cm

少女 [1918年 (1922年刷)]

  • リトグラフ、紙
    21.1×37.3cm

エゴン・シーレの版画は17点しか知られていません。デッサンを得意としたシーレにとっ て、石板や金属板を用い、改めて紙に図像を写す行為は、少々煩わしく感じられたので しょうか。 白い画面のなかに浮かび上がる《少女》の、鋭いしっかりとした輪郭線で表された独特な ポーズ。ひねるような体勢はシーレの人体表現の特徴であり、また年頃の少女特有の不安 や憂鬱を反映しているようです。この作品を制作した1918年、シーレは第49回分離派展 で画家として大成功を収めながらも、スペイン風邪により急逝してしまうのです。

座る少女: シュテファニー・グリュンヴァルト [1918年]

  • クレヨン、紙
    47.0×30.1cm

第49回分離派展のポスター [1918年]

  • リトグラフ、紙
    67.8×53.1cm

カール・グリュンヴァルトの肖像 [1917年]

  • 油彩、カンヴァス
    140.7×110.2cm

[音声ガイド]

エゴン・シーレは、人間の実在とその表現に取り組んだ画家の一人です。虚飾をそぎ落と した鋭く力強いデッサンと渋みのある色彩によって、人間の内面まで浮き彫りにしようと しました。 しっかりと組み合わせた両手と、落ち着いた表情が印象的な肖像画です。モデルが腰を掛 けている椅子は暗い背景に溶け込むように描かれ、人物そのもの存在が際立って見えます。 シーレはさまざまな角度からのデッサンを行い、最終的にはモデルを正面からではなく俯 瞰するような視点から描きました。シーレはこの作品を描いた1年後、28歳の短い生涯を 閉じます。 グリュンヴァルトは繊維業を営む美術愛好家であり、第一次大戦中のシーレ兵役時には上 官、後にはパトロン(後援者)にもなった人物です。

男の肖像 [1914年 (1922年刷)]

  • ドライポイント、紙
    12.2×10.5cm

自画像 [1914年 (1922年刷)]

  • ドライポイント、紙
    22.0×18.0cm

フランツ・ハウアーの肖像 [1914年 (1922年刷)]

  • ドライポイント、紙
    13.0×11.0cm

しゃがむ女 [1914年 (1922年刷)]

  • ドライポイント、紙
    48.3×32.2cm

悲しみ [1914年 (1922年刷)]

  • ドライポイント、紙
    48.2×32.0cm

アルトゥール・レスラーの肖像 [1914年 (1922年刷)]

  • ドライポイント、紙
    24.2×32.0cm

エゴン・シーレの版画作品集 [1914-18年 (1922年刷)]


  • 8枚組

男性裸像 (自画像) I [1912年]

  • リトグラフ、紙
    44.8×40.0cm

エゴン・シーレは1911年11月にミュンヘンの芸術家集団「ゼマ」の一員となりました。 翌1912年、「ゼマ」の会員15人がそれぞれ一枚ずつを担当する版画集が出版されます。 この版画集のために制作された《男性裸像 (自画像) I》は、シーレの版画のなかで最初に 発表された作品です。手や足の先を描かず、独特の鋭い線で身体をとらえるシーレのデッ サンの特徴がよく表れています。シーレはリトグラフやドライポイントなど版画の技法を 煩わしがった反面、たやすく技術を会得して周囲を驚かせたといわれます。

レオポルト・ツィハチェックの肖像 [1907年]

  • 油彩、カンヴァス
    149.8×49.7cm

[音声ガイド]

この作品はシーレが17歳の時に描いた、最初期作品の1点です。モデルの男性はシーレ の後見人も務めたおじです。この頃シーレは友人や家族などの肖像をよく描き、おじを描 いた習作的な油彩は8点残しています。当初ツィハチェックは甥が芸術を志すことを喜び ませんでしたが、高いデッサン力が認められて難関の美術アカデミーに入学が決まるや、 非常に協力的になります。 シーレはおじの身体的な特徴だけではなく、堂々とした雰囲気を大胆な筆使いでよく捉え ています。また人物と背景の光と影のコントラストを意図的に用いることで、劇的な印象 を強めました。この後、グスタフ・クリムトやウィーン分離派の影響を受け、シーレの画 風はさらなる展開を遂げていきます。

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